萱生城跡

【城郭の概要】

所在地: 四日市市萱生町字城山
遺跡番号(県) 4007
遺跡番号(市) 244
別 名  
築 城  
城主 春日部左衛門尉
区 分  
遺構の保存状態 削平、消滅
遺構と規模 主郭25×25m
全体320×160m
遺物  

現地の状況

城跡は朝明川の南岸丘陵、標高55mの突端にあったが、昭和38年暁学園建設のため消滅。土塁の一部と「髪伸びの井戸」が残る。
同学園地内には古墳時代の城山遺跡があった。


【萱生城址遠望、2001.8】
主郭上に鉄筋校舎が見える

【城郭の歴史,その他情報】

 加用家、四十八家の一。春日部左衛門尉の居城。

 弘治2年(1556)春日部俊泰(俊家)のとき、千種城主千種忠治に責められ篭城に及んだが、後に和議なり忠治の女を嫁とした。(伊勢平氏7所引「千種家系考」)

 「伊勢輯雑記」星川城には永禄3(1558)暮春の頃千種常陸介は萱生春日部大膳、星川春日部若狭守を与力として三重郡閏田音羽に陣取り千種城主千種太郎左衛門門忠基を攻めるという。
 永録4年(1561)8月中旬朝明郡萱生城主春日部左衛門俊家は千種城主千草常陸介忠治(一本忠房)と隙を生じ、まさに兵戈に及ばんとしたが麻生田村万松院の僧南果和尚により和議に及んだ(祝坂・小川稿本)。

 永禄10年(1567)8月、信長の北勢侵攻の時、木俣隠岐守の先導による北勢の諸城主に攻略され降伏。
 永録11年信長のため滅亡。要害のため陥落は容易ではなかったが、数日して水がつき落城したという【五】。

 天正12年(1584)5月23日蟹江出陣に備え、小佐久間(駿河守)甚九郎正勝萱生に陣取る(三国地誌)。

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