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長深城跡

【城郭の概要】

所在地: 東員町長深字西守2644〜2649
遺跡番号(県) 3891
遺跡番号(町) 31
別 名  
築 城  
城主 富永富春
区 分 丘陵 寺社地
遺構の保存状態 郭の一部
遺構と規模  
遺物  


【本丸跡に建立された善正寺、2001.8】

現地の状況

 員弁川南岸の段丘上(標高42m)にある。周囲は三弧子川の支流宮下川と、勢至川の形成する谷に囲まれている。谷との比高10〜15m。この段丘を堀切って城郭を形成している
 本丸跡には善正寺が城主の一族により建立され現在に至る。北側を除く三方の土塁は災害に備え現在コンクリート壁となった。境内には土塁の一部が保存され長深城跡の石碑が建立されている。


【本丸土塁と長深城跡石碑、2001.8】

【城郭の歴史,その他情報】

 暦応年間に富永筑後守富春が築城、代々居城。室町幕府奉公衆に富永筑後入道がある。

 永禄11年(1568)、織田信長の北勢侵攻により落城。城主勝秀は尾張に逃亡し、加藤清正に仕え文禄の役(1592)に加わり釜山海で討死。子孫は松田と名乗り尾張候に仕えた。
また養念寺系図では勝秀の子勝義は織田信秀に仕え、その子勝雅は姉妙斎の養子となり、出家、養念寺(名古屋市)の開基となり、代々住職となっている。

 瑞応寺は冨永家の菩提寺で、江戸時代まで冨春院(初代)、玉桃院(二代)、宝樹院(三代)の塔頭があった。冨春院は後の地蔵堂となった。(北勢雑記)。 

 冨永家の家臣に矢代出羽、矢代豊前がある。

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