| 長深城跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
【城郭の概要】
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【現地の状況】 員弁川南岸の段丘上(標高42m)にある。周囲は三弧子川の支流宮下川と、勢至川の形成する谷に囲まれている。谷との比高10〜15m。この段丘を堀切って城郭を形成している
【城郭の歴史,その他情報】 暦応年間に富永筑後守富春が築城、代々居城。室町幕府奉公衆に富永筑後入道がある。 永禄11年(1568)、織田信長の北勢侵攻により落城。城主勝秀は尾張に逃亡し、加藤清正に仕え文禄の役(1592)に加わり釜山海で討死。子孫は松田と名乗り尾張候に仕えた。 瑞応寺は冨永家の菩提寺で、江戸時代まで冨春院(初代)、玉桃院(二代)、宝樹院(三代)の塔頭があった。冨春院は後の地蔵堂となった。(北勢雑記)。 冨永家の家臣に矢代出羽、矢代豊前がある。 |
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