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  家臣録         やらわ

安立 藤助  空明家老 小牧合戦時の空明の将

伊藤 孫右衛門 小牧合戦時の空明の将 上野郷坊主還俗。

伊藤 作右衛門  空明家老 小牧合戦時の空明の将

岩間氏  関盛信の臣(関町史)

岩田 縫殿右衛門

羽津城主六代目羽津国虎の家臣。元亀三年(1572)六月晦日、茂福城主山口次郎四郎に饗応を受け毒殺された。この時家臣岩田縫殿右衛門城内へ打ち入り討死。
北山田村(東員町鳥取)古城主という(北勢雑記)に
岩田縫殿之助あり。関連未詳。(小川稿は同家と見ている)

大和田 某 下野  古野村主
大和田 治兵衛  
小牧合戦時の
空明の将 下野の一門

小川 勘右衛門 宗春

茂福城主盈豊の家臣。元亀2年(1571)、城主盈豊は一益のため長島城に呼び出され、殺害された。「桑名志」には永禄の末ころという。このとき家臣小川勘右衛門宗春がその首を奪い返し、保々村大樹寺を頼り葬るという。
この人員弁郡大木村八幡新田庄屋小川家の譜にありという(小川惣一家)

小川氏 

 桑部南城主大儀須家城内掃除役。水役(桑部小前にあった大名井戸より飲料水を運ぶ)。家紋は丸に花おもだか(桑部城史)。

落合 源内左衛門

西野尻城主西ノ左馬之助の家老。西野尻に子孫あり(天保年間、伊勢輯雑記稿本)

加藤 源左衛門
加藤 又左衛門 
両名小牧合戦時の
空明の将 長島酒手村の侍

河村氏  広永城横瀬氏臣。関東より横瀬氏に従う。川越町高松の河村小四郎の先祖(川越町史)

草川氏  関盛信の臣(関町史)

黒田一族   四日市赤堀羽津、浜田三氏家来(三重国盗り物語)

黒田氏  西野尻城主塩谷氏の重臣。法幢山唯照寺開基

桑原氏

桑原伊豆守、員弁郡朝明侍。
桑原彦右衛門 菰野土方家中に子孫
桑原彦十郎 菰野土方家中に子孫(以上三重国盗り物語)

近藤 清左衛門

白瀬城主近藤氏の重臣。子孫は本郷の酒屋傳兵衛として代々の庄屋となった。また坂本の甚兵衛庄屋、東禅寺の重次郎庄屋、飯倉の森三郎庄屋、古田の釜右衛門庄屋はその族という(三重国盗り物語)

近藤氏  北迫城主近藤氏の家臣。近藤彦太夫、同十郎兵衛が城の南麓に居を構えた。

櫻井氏  関盛信の臣(関町史)

佐野氏  関盛信の臣(関町史)

伊達氏

 浜田家侍大将(勢州四家記)
  『東鑑』建久二年(1191)正月条には、女房大進局に伊勢国の所領を与えるかという記事が見え、翌三年十二月条には「女房大進局、先日伊勢国三ケ山を拝領する事」と見える。「駿河伊達系図」にも大進局の註に伊勢三箇山領主とみえる。三箇山(みつこやま)庄とは、鈴鹿郡坂下村(いま関町北部の坂下)の三子山の南麓一帯にあったとみられる荘園であり、大進局の後は頼朝との間の子・貞曉が領している。
  伊達氏と伊勢との関係は建久年間より早く、『東鑑』の文治三年(1187)四月廿九日条に、伊達一族の伊勢所領が記載される。すなわち、公卿勅使の伊勢神宮参向のさいの駅家雑事に勤仕したかどうかの記事には、勤仕した庄に荻野庄(一方は次官、一方は中村蔵人)など、勤仕しなかった庄には家城庄(地頭常陸六郎)、三ケ山(常陸三郎)、糸末名(中村蔵人)、吉行名(常陸太郎)、松高名(常陸太郎)などがあげられる。常陸太郎・同三郎・同六郎(あるいは太郎の誤記か)は大進局の兄弟で伊達念西入道の息子たちであるが、中村蔵人は不明である。
  大進局の兄弟・四郎左衛門尉為家の子の掃部助経家が、叔母大進局より伊勢山田の所領を継ぎ、その子の掃部助家光以下が相伝していき、その子孫は北畠国司に仕えたが、後に近江国へ移ったのもあるという(『諸系譜』巻30、伊達)。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/datekei/date3.htm

高野総右衛門

 北迫城主近藤氏の家臣。城の東麓に居を構えた。御砂城主玉井四郎左衛門と婚姻の事にて諸氏会合の席上、坐悪敷くなり玉井は尾州に退いた。

豊田氏  関盛信の臣(関町史)

中久木家 桑部南城主大儀須家家老。槍を伝えるという(桑部城史)。

中島氏  関盛信の臣(関町史)

野村氏  関盛信の臣(関町史)

萩野氏  広永城横瀬氏臣。関東より横瀬氏に従う。(川越町史)

葉若氏  関盛信の臣(関町史)

穂積氏  関盛信の臣(関町史)

 
やらわ

矢代氏  長深城主冨永氏の家臣に矢代出羽、矢代豊前があった。矢代は大社の省か?

山家氏  金井城主松岡氏家老。東金井徳元寺の開基となった。

山本氏  小向城代官

渡辺 高綱、市兵衛

 香取法泉寺奥家老。嵯峨源氏渡辺綱の末孫。大永元年(1521)薙髪して教和と号し、翌2年本願寺實如上人より阿弥陀如来像を賜り古野に一宇を建立。その後長島願證寺の別坊として西願證寺と称したのを改めて現在の西願寺となった。 
 元亀天正年中香取法泉寺空明の誘導に応じて各所に戦功があり、また元亀年中戦火を避けて空明の室西尾氏の孕身を保護して古野の山中に固屋を構えて隠棲させて、法泉寺12世空了が生誕した。
 西願寺の現住は渡辺義隆氏である(多度町史)。
渡部市兵衛  古野村坊主還俗(法泉寺由緒)

渡辺氏

 梅戸家家臣。梅戸氏の裔ともいう。梅戸住人。
渡辺 某 作左衛門 桑名藩士、300石正徳元年(1711)越前高田へ所替えの時、暇乞いして菰野藩土方家に仕官。(勢桑見聞略史)
渡辺権五郎
 嘉永5年(1852)菰野陣屋内家臣屋敷割絵図にみえる。位置は城外西側。(菰野城址発掘調査報告)。

 

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