山本氏
小向郷名主。小向城代官。また西別所の後藤氏を後援して信長軍に打たれた江州侍山本式部がある。
鈴鹿郡山本城主に山本氏があるが関係未詳。
| ○┳山本義政・・・・猪之助 ┗義柄 |
山本氏(小向村)
山本兄弟
小向郷の名主であったが、寛正6年(1465)同所の幕府祈願所正治寺の僧玄永殺害事件の犯人と目されその所領が没収され、伊勢貞弘に与えられた(四日市市史)。
山本 義政 庄大助
山本 義柄(弟)
小向城代官。永禄11年(1568)落城後、兄義政は川越の南福崎を開発、山本猪之助の先祖という。弟義柄は四日市の浜一色を開発した(川越町史)。
○山本義里━━義純━┳某
┗光定━・・(太神楽)桑名郡志
山本 義里 修理進 義純の父
山本 義純 式部
義里の子。江洲佐々木氏の幕下。天正中(元・1573)織田氏大挙して北勢を討つの時、式部義純は西別所の後藤弥五郎の城を後援したが、ついに丹羽・木下などのために討死。その梟首のため使用した泉水を式部泉という。
山本 光定 十右衛門
義純二男。江洲佐々木氏浪士。天正中、太夫村に居住して、その類徒往来の人多く衣食不給のため、津島社家手代として全国配札の業に従事してまた神楽を始めてこれを養った。元上野村の内山上に居住したので上上野と称したが、鎮国公の時独立して太夫村という。