
二階堂氏
深谷部氏
八曜、下り藤、相模の名門にして大族。行政は白波氏とも称する。二階堂行政が鎌倉幕府に仕え、鎌倉二階堂に屋敷を構えたので二階堂を称したという。行重の子行光、その子正宗は名刀工として知られ、一族の狩野氏は絵書の大家として知られるhttp://www.tanutanu.net/roots/database/n/nikaido1.htm他
藤原氏南家乙麿流。行村、基行、行氏の三代にわたり益田庄地頭。その後も深谷部に根ざしたもようで「文安(1444〜49)番帳」二番に二階堂氏、東山殿代(〜1490)「見聞諸家紋」二番に深矢部行名、天文8年(1539)まで見える。
二階堂氏は代々益田荘地頭。子孫は深矢部郷に居館したものか。北勢町中津原には二階堂刑部が屋敷を構え仏門に帰依したと伝え、行順寺の寺祖となった。深矢部族であろうか、未詳。
|
┏行光━━行盛━━行綱━┳行経伊勢次郎 ┃ ┣頼綱伊勢三郎 白尾行遠 ┃ ┗政雄伊世八郎 │ 桑名三郎 ┃桑名二階堂 左衛門尉 隠岐守 隠岐守 三郎左衛門 三郎左衛門 紀伊権守 ┝━二階堂行政━┻行村━┳元行━━行氏━━行景━┳泰行━━行雄━━行久━┓ 平季範妹 ┃ │ ┃┏━━━━━━━━━━┛ ┃ 後藤基綱女 ┃┗(十代余)伊勢三郎氏吉 ┗行義━━行有━━行藤 ┗荻園盛行━━成藤 |
藤原 行政 桑名三郎
南家藤氏。生毘沙門白尾太郎行遠の嫡子。母は熱田大宮司季範の妹、右大将頼朝の外戚として五位下に叙し山城守となる。長男信濃守行光が嗣ぐ(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
二階堂 行村、隠岐守、法名行西(1155〜1238)
建保元年(1213)の和田合戦に功あり,。相模国を賞賜され、子孫繁衍した。
従五位下、伊勢国益田庄に卒、年84(吾妻鏡、暦仁元年2月16日条)、益田庄地頭
行村入道 ウノキ(増田別名)に住せりという。
二階堂 行村 行政次男、桑名に住して桑名の二階堂という(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
二階堂 基行、左衛門尉、法名行阿(1198〜1240)
行村の子、益田庄地頭。建保7年(1219)正月27日父子ともに出家。仁治元年10月25日卒。42歳。
元行 左衛門尉 行村の子(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
伊勢 某 次郎左衛門
「阿下喜根元記」に「領主の儀、平家没官の地、終に鎌倉右将軍頼朝公より、桑名を二階堂隠岐入道行西に被下、其子伊勢次郎左衛門員弁郡一郡の司と也」。
二階堂 行氏、左兵衛尉、法名道智(1220〜1271)
基行の子、仁治元年(1240)10月14日の父基行の譲り状をもって、同年閏10月20日鎌倉将軍家政所より安堵を得る。文永8年(1271)には「益田庄与深谷部郷山野界事」「同庄与安永野堺事」境界を定め子女に譲与した(薩摩二階堂文書)
行氏 隠岐守 元行の子(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
二階堂
深矢部 某 隠岐入道
「幕府番帳按」の二番衆に「二階堂除(深)矢部隠岐入道、同次郎左衛門尉」と見える。
二階堂
深矢部 行名、次郎左衛門尉
東山殿(足利義政〜1490)のころのひと。「見聞諸家紋(1510)」にみえる。紋は三つ盛亀甲。文安年中(1444〜1449)「幕府番帳按」には二番衆に「二階堂除(深)矢部隠岐入道、同次郎左衛門尉」と見える。
二階堂 行雄 三郎左衛門尉 行名の子(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
白尾 行久 四郎左衛門
深谷部郷地頭(旧城跡附)
二階堂 行久 紀伊権守 行雄の子(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
深矢部 某
深谷部氏断絶に付き二階堂中務大輔の末子をその跡取とし二番衆に預ける(室町幕府引付史料集成、天文8年〔1539〕閏6月7日披露事記録)
桑名 氏吉 伊勢三郎
行久十余代。桑名城主。北畠家臣。永禄3年(1558)滝川一益奇計を案じ信長に奏上して長良・桑名をとり領地を賜ろうとした。一益は新募の兵を訓練して(翌春か)桑名城主伊勢三郎氏吉年頭祝賀のため北畠大河内城に新春参賀の留守に乗じて逞兵四百余人を率いて桑名を攻めた。城中不慮のことでまんまと一益は氏吉の妻女を生捕りして城兵を降した。大河内より帰館した氏吉も致し方なく一益に下った(伊勢平氏8所引三重縣史料)。
刑部屋敷居住。益田庄の二階堂の属か。定紋三つ鱗という(北勢町風土記)。
○二階堂行藤━━刑部坊
○二階堂行敦━━某━━某━━正玄坊
二階堂 某 刑部坊 空賢
藤家庶流二階堂行藤の三男(北勢現記)。真言刑部庵を再興。文安5年(1448)11月正玄坊と共に上京、本願寺に参詣して蓮如上人に帰依した。
行藤は行村の次男行義の孫に見えるが空賢の親の行藤より100年ほど先の人である
二階堂 某 正之助 正玄坊
二階藤備中守行敦の曾孫。刑部坊の弟子となる。文安5年(1448)11月正玄坊と共に上京、本願寺に参詣して蓮如上人に帰依した(員弁の歴史散歩)。
伊勢輯雑記校本の一種(異筆)には、行順寺の中興は立花某の嫡男立花庄之助が釈門に入り昌巌と法名したという。
教覚寺歴代
| ○正幻━━正順━━〇━━〇━━〇━━覚正 |
某 直行 紀伊介 正幻
深谷部の人。文明三年(1471)出家して蓮如上人の弟子となり道場を桝田庄町屋に開いた(桑名郡志)。二階堂の族か。
正順 明応5年道場を東方に移す
覚正 第6代、矢田町に道場を移して寛永12年寺号免許