
伊藤氏
| 長島城主 押付城主 伊藤蔵人 殿名城主 伊藤修理亮 篠橋城主 伊藤与右衛門 加路戸城主 伊藤縫殿助 |
鈴鹿郡工藤の族。 |
| 殿名○伊藤修理───千丸━━━了意 |
| 加路戸(1)○工藤祐親・・・・・・ 伊藤祐直・・・・・(五果)祐行・・・・・正甫 (1)’ 伊藤祐直━━祐重━━某━某━某━某━某━━祐之━━祐信 加路戸(2)○伊藤祐植━━實定實賢 |
松ヶ島(長島)城主。
伊藤は鈴鹿郡工藤の一族という。文明14年(1482)古城を再営(旧城跡付)。押付・殿名・竹橋に支砦を築いた。
その後信長のために皆々亡失、寄合勢少々長島城を守るところ元亀2年8月願證寺勢押し寄せのっとられる(長島細布)
伊藤 某 蔵人 押付城主
伊藤 某 平右衛門
押付城主の系。信長長島一揆責めのはじめ松の木村合戦の時、水中に甲首取り、敵・味方の眼を驚かしたという。平右衛門の甲鐙・太刀等は伊藤次辰家に残る(享保のころ、長島細布)
伊藤 某 修理亮 殿名城主
伊藤 某 了慶
伊藤修理の庶子、正敬寺の開基。はじめ殿名村に住み慶長19年長島村下町に移住(郡志)。
伊藤 某 了意 了慶の子、下町にて小庵を建立。万治年中正敬寺寺号免許(郡志)。
伊藤 某 与右衛門 自徳
竹橋城主。法体して自徳と号す。亡楽の後又木村萱町西薬師堂下に居住。一説に尾州に蟄居那古屋開発。善導寺祖(長島細布)
伊藤 定照 中川産神八剣大明神、元禄15年再造営の時の神主(長島細布)、
伊藤 祐直 右京進
唐鷺渡城主。元亀のころ(2年1571か)、陥落して子孫は茜部(岐阜市加納の西)に移住して、八幡宮に奉仕。五果子孫に尾張藩士次郎兵右衛門祐行があり、その末に名古屋市千種区の伊藤正甫がある(木曾岬町史)。縫殿とは近い関係であろう。工藤祐親の後と伝えるが、長島の伊藤は工藤祐経の後であり異伝となっている。
伊東 祐直
伊豆河津荘の伊東祐親の末。子の祐重と共に伊勢より尾張春日井郡へ来住。土器野新田を開発して代々の庄屋役・杁守役(角川姓氏人名辞典)。
伊藤 祐植 縫殿助
加路戸城主、四十八家の内。1585年の天酉地震で加路戸が埋没のため、子族は丹波亀山城主前田玄以に奉仕、その子孫は長島に来るという。幕下に大田自仙があった(長島細布・木曾岬町史)。
伊藤 祐雅 縫殿助
伊藤 實定 縫殿助(〜1600ころ)
加路戸領主。丹波亀山城主前田玄以の幕下となる。朝鮮の役の時違約のため濃州新神戸村(一之宮市)の伊藤九郎兵衛館に蟄居。その翌年死去する。嫡子は太郎右衛門(長島細布・木曾岬町史)。
この人祐植の氏族であろう。
伊藤 實賢、太郎右衛門
加路戸領主伊藤實定の嫡男。父の死後浪人(丹波亀山)となり、慶長7年(1602)長島に転住。その後長島城主菅沼定芳の長臣今泉三郎右衛門の妻と母(父實定の妻)内縁を頼って、市中長棟として領内庄屋の長となり、その居屋敷を丹波屋敷といった。のちに西外面村の遠浅に居住した。(長島細布・木曾岬町史)
伊東 祐重 祐直の子 父と共に尾張土器野新田を開発(角川姓氏人名辞典)
伊東 祐之
祐直8代 幕末尾張藩主徳川慶勝が幽閉されたとき、幽閉解除嘆願の連判に名を連ねた(角川姓氏人名辞典)。
伊東 祐信 祐之の嗣子 愛知県第三大区長・県会議員(角川姓氏人名辞典)