伊勢氏
北伊勢で伊勢を称するもの伊勢平氏季衡流俊継の後・同関実忠の後と、藤原氏山蔭流の両流がある。
伊勢平氏季衡流 北条氏
| ┏俊盛━┳盛長 ┏盛冨 ┃伊勢 ┗宗俊三郎 ┣盛景 ○平俊経━╋俊継━┳盛継━━経久━━盛久━━盛綱━┻盛定 北条 ┗俊光 ┃ ┝━━盛時━━氏綱 ┗貞継━━貞信━━貞行━━貞国━┳女 ┌北川殿 ┗貞親━┷定宗 |
北条早雲は伊勢関の一統とされてきたが、備中に下った伊勢氏の出自が明きらかにされてきている。足利義視に仕え、伊勢国北畠教具の館に入るなど当地に縁も少なからずあったらしい。
北畠国司家の配下縄生城主栗田監物季重は伊勢新九郎氏綱(北条早雲長氏)の一族という。
伊勢平氏盛国流 中山氏
| 〇平盛国━┳関實忠━━┳盛高━━盛治━━盛行━━盛貞━┓ ┗長崎盛綱 ┗柏巌(神戸祖) ┃ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┗〇伊勢貞信━━貞長━━持貞━━貞宗━━貞陸━━貞忠(中山氏祖) |
藤原氏山蔭流
| ○藤原山蔭━━有頼━━在衡━━国光━━忠輔━━相任━━為道━━俊宗┓ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┗○川島俊盛━━伊勢義盛 |
川島 俊盛 二郎
伊勢(三重)郡司。福村に館を置いた。
伊勢 義盛 三郎(〜1186)
俊盛の子。伊勢福村にて生れる。
源義経の鞍馬から奥州下向途中に上野国板鼻(配流地?)で家人に?。寿永4年(1185)3/24、壇ノ浦合戦で平宗盛を捕虜。文治元年(1185)源義経逃亡に同道後、伊勢に帰郷。文治2年(1186)7月、伊勢守護首藤経俊の追討により鈴鹿山で自害。7/25、梟首
義盛は幼少の時に父を喪い、伊賀の中井某のもとで生育して、その後度会郡二見郷に流落し江村に習学して江三郎という。あるいは鈴鹿山に潜伏して焼下小六と称す。上野国荒蒔郷に潜居して、主人源義経に会い伊勢三郎義盛という(伊勢名勝志)。江村の地名は三重郡にもある。
伊勢 氏善 三郎
永禄年中桑名の城主。国司北畠家に属す。永禄4年(1559)春年始の賀に国司の居城へ赴いたところを滝川一益に奪われた。伊勢氏は悪政であったところ一益が仁政を施したため桑名蟹江の百姓におおいに悦ぶという(絵本太閤記)。