海老名氏

 十ヶ所人数の一。霜野山城主。下野組殿。諸書に見永氏、永蔵氏、江見氏、蛯名とも記すのは誤写誤伝であるか。
 海老名氏は村上源氏といい、源有兼が小野盛兼の子季兼を養子に迎え相模国海老名郷に土着して性としたという。源頼朝が平家打倒を目指して挙兵した石橋山合戦では頼朝に敵対したが、その後、海老名季久は源平合戦に功をたて、幕府御家人となった。また鎌倉幕府滅亡後も室町幕臣としても続いている。

○海老名四郎左衛門━┳信濃守━━某━━十郎
               ┗修理介
太平記

見永 秀宗、藤七郎

建武年間、足利尊氏より当地を与えられ、歴代居城。旧城跡附に季宗とする

海老名 詮季 七郎左衛門尉

貞治6年(1367)中殿御会に小串、朝倉、佐脇らとともにみえる(太平記40)。 
見永 某、七朗
 
文中元年(1372)3月大矢知城の南部左京亮頼勝が叛き、仁木義長に与力したので、北畠顕信は朝倉・見永七朗らに大矢知城を攻めさせたが破れ、茂福城に篭城。国司は大宮入道親子に2000余騎の兵を送りこれを討つ(北畠暦記)。 

海老名 某、七郎

 応永年間内宮領霜野御厨が工藤氏の横領を受けたため、上分衆である外宮の神主に工藤氏の横領停止の内宮庁宣を求めた。(四日市市史)

海老名 恵家

 朝明郡岩田御園の地頭、応永24・25年(1417・1418)櫟木文書(四日市市史)

海老名 某、左衛門四郎

永享番帳・文安番帳・長享番帳、二番衆

海老名 某、信濃守、信濃入道

永享番帳・文安番帳二番衆

海老名 某、七郎

文安番帳二番衆

海老名 某

下野三郷地頭。文明12年(1840)宿職売券写に見える

海老名 某 越後守

長享番帳、二番衆

海老名 某 与七

長享番帳、二番衆

海老名 某 八郎左衛門尉

明応番帳、二番衆

海老名 某、藤右衛門

山城城主(桑名雑誌)

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